2009年06月27日

『I COME WITH THE RAIN』その2

「生きる」ことを続ける中では

必ず。

「痛み」を伴う。


幸か不幸か・・・

人間は

「身体の痛み」だけでなく
「心の痛み」を感じる。という

特権を持つ。



この映画を観るにあたって・・・・
自分の中にある
人生観を軸にして観てしまうので

ひどく偏った感想だと思います。





わたしは
このトラン・アン・ユン監督という人が
どういう人なのか
どんな作品を撮る人なのか
全然知らないんですけど。^^;

一番感じたのは
ストーリーを追って観て考える作品ではなくて
5感を使って感じてください。的な
作品なのかなと。

視覚。
聴覚。
嗅覚。
触覚。
味覚。

映画だから
「嗅覚」「触覚」「味覚」は
感じ得ないはずなんだけど
そこが
感じるように創られているところが
この監督の狙うところなのかしら。

主要人物3人が
それぞれの状況の中で感じる
「苦悩」


人が持つ
様々な苦悩。


クラインが関わった
殺人鬼ハスフォードが発する言葉たちが
福音の物語を牽引する。


そうやって見ると
いかにも。だよね。


わたしにとって

それらを観て
何を感じるか。
どう感じるか。

・・・・・ってことが
その「映画」の言おうとしていることの前に
重要なので

単純に「感じた」ことを書きますが
クリスチャンの方には
異端的な感想になってしまうかも。



自分の中にある「痛み」について。

わたしは
人生は
「痛み」あってこそだと思っています。

そして
「自分の痛み」は自分で引き受けるしかない。と
思ってるのね。

それは
他人に分かち合わない。とか
痛みを吐き出さない。という意味ではなくて

「自分で引き受ける」までの過程では
泣いたり叫んだり
僻んだり疎んだり
誰かに泣きついたり
いろいろジタバタしてもいいと思うんだけど

最後の最後には
「その痛み」は自分で受け入れるしかない。

ほら。
わたしが恋焦がれたひとの
奥様もそう言ってた。

「自分で引き受ける」
あの言葉を聞いた時
胸が震えたなあ。

自分が感じた痛みは
身体の痛みでも心の痛みでも
「なかったこと」にはならないし
「どこかへ捨てる」こともできなくて

自分の中にい続けるもの。

でも、その形は変わっていくので
時間が経てば「前ほど痛くなくなってる」かもしれないし
「痛くないもの」になってるかもしれない。

そういう意味で・・・・

現代キリストを模したシタオが
「人の痛みを請け負う」のは

あんまり共感できない。


たくさんの人が
わらわらとシタオに救いを求めてやってくるけど

あのシーンに
ものすごく空しさを感じました。


それよりも
苦しむシタオの側で
成す術もなく、オロオロして
ただ抱きしめるのみ。のリリの姿の方が
わたしは心に沁みた。かな。

シタオも
そんなリリを見て
穏やかな顔してたよね。

本当の癒しは
あれなんじゃないかなーって思うの。

人の「痛み」をそっくりそのまま
自分に映しても
本当は、相手も自分も
救われないのじゃないか。と・・・・・・。

だから
この話、結局誰も救われない。

ドンポが
殺すほど憎むシタオの手を取ったのは

神憑り的なシタオに
無意識に救いを求めて・・・・
思わず手を取ったけど
我に返って
シタオに恐怖を感じた。

それをシタオは悟って
「僕を恐れないで」と。

ドンポは
シタオに全てを見透かされているようで
更に恐怖を感じる。

「やめて」
「こわいんだ」

と言ったのは
シタオの気持ちだと
パンフにもキムラくんのインタビューにもあったけど
わたしはドンポの心の痛みを感じたシタオが
口にした
ドンポの心の声のように聴こえたんだけどな。

シタオの叫ぶ「言葉」と
ドンポの涙が
わたしの中では
リンクしてました。


結局
自らが持つ不安や弱さや
目の前の邪魔な人間を
「暴力」で潰しても、潰しても
彼の心に安堵の日が訪れることはないよね。

かと言って
「全てを赦す」という
シタオに心を委ねることもできない。

実に「人間」っぽい。(苦笑


でもクラインに
「シタオの居場所を教える」ことで
間接的にでも「赦される」ことを求めたのかしら。

それならそれで
哀しいほど「人間」っぽい。


「生」と「死」とが表裏一体というように
「苦悩」と「快楽」も紙一重。


・・・・・・的な
ハスフォードのオブジェたち。
アレ作った美術さん
スゴイなあ。
(好き嫌いとは別の意味で)


それと
ちょっと・・・かなり?
気になった。・・・・・・・のが

リリさん。

いや、思ったより熟女さんだったので
ビックリしたのですが。
それはそれでアリとして

シタオに助けられ
薬が抜けてからは
「えっ?!この人がっ?あのリリ?」ってほど
変わってほしかったのよね。

シタオをイエスとするなら
リリはマリアなのかもしれませんが
薬が抜けた時点で
もっと、ぶっとぶくらいのクリアな変化が
ほしかった。なあ・・・。

わたし自身の好みなのかもしれないけど
すごい違和感を感じて
ビックリしました。^^;


現代の福音書。
と思えば
納得なんだけども

わたし自信の
宗教観には
沿わないからか
ぐゎんぐゎん心が揺さぶられることは
ありませんでした。


でも
スクリーンのビョンホンさんに
久しぶりに会えて

それは
単純に嬉しかったデス。

映画観にいく前、
いつものように
どの服にする?とか
アクセサリーはどれにする?とか
新しいサンダル履いちゃったりなんかして。(爆


彼の映画を観にいくときは
いつも
デートに行く少女のようになる
どーなつです。^^






posted by どーなつ at 23:48| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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