2006年11月23日

踏み出す足

「僕の歩く道」
Kが録画して。と言うので、親子で見てます。

このドラマの主人公の青年が持つ「自閉症」というものは
「人の個性」と同じくらい様々な症状があると思うので

クサナギくん扮する「大竹輝明」クンは
とても教科書的な自閉症の青年だな〜って気がします。

でも、クサナギくんがとても「丁寧に演じている」のが伝わってくる。


今週のストーリーの中で印象の深かった場面。

輝明は、自転車でどこへでも行けるが
「いつも通る道」以外には行くことはない。

たとえ見通しが良くて、何も危険がなさそうでも
そちらに「関心のあるもの(人)」があるとしても
彼には、その「未知のライン」を踏み越えることが難しい。

同居している兄の息子・幸太郎が
「僕、ちょっと遊んでから帰るから」と
その「踏み込めない道の向こう」に行ってしまった。
それを見送った輝明。

夜になっても帰宅しない幸太郎を心配する家族。

輝明は、「関心なさげ」にビデオを見ていたが
みんなが気付いたら、輝明の姿は部屋になかった。

その「踏み越えることのできない場所」で
自転車に乗ったまま硬直している輝明。

その姿を見つけた妹も
「輝明兄ちゃんは、あそこから先へは行くことができないのよ」と
つぶやく。

そのとき。輝明は
ガタガタ震える足をペダルにかけて、ペダルを踏み
そのラインを超えた。

「いつもと違うことをする」不安や恐怖は
わたしたちが想像する域をはるかに超えているんだと思う。

「そんなことくらい・・・」と思うことが
本当に不安で時には恐怖にさえなる人たち。

だけど
「その恐怖」さえも「超えよう」と
しかも「自分の意思で超えようと」することがあるとしたら

その力はやっぱり「人」なんだな〜。。。

母親から「英才教育を強いられ」
ストレスの塊になってしまい
何気に輝明を慕ってくるようになった幸太郎の「キモチ」を
輝明は、ちゃんと感じていたんだと思う。

「何かわからないけど」
「何か良くない感じ」
「その幸太郎がいなくなった」

ぴょんもそうだし
小さなコドモって、結構そうだと思うけど
「理屈」じゃなく「魂」で感じ取る。ところがあると思うの。

自閉症の人たちは
「その感じたこと」を外へはなかなか表現しないし
一般の多くの人とは少し違う出し方をしたりするけどね。

・・・・・・・・・・・・

「あの場所で別れた」幸太郎を「探しに行こう」
「探す」ということまでは思っていなかったにせよ
「あの場所の向こう」に幸太郎がいる。と思って
そこへ行こう。と思った。

「人は人の中で成長」する。

ぴょんが、ボタンかけをできるようになったのも
パンツを立ったまま履こうとするのも(フラフラで危なっかしいけど)
自分の名前を漢字で書きたがるのも
みんな、友達のようにやりたい!という情熱からだった。

親や教師が「○○しなさい」と
「こうするとできるよ」と
手を変え、品を変え、工夫を凝らし、教えてきたことが
「○○ちゃんがやってたから」だけで
いともあっさりと「できるようになちゃった」ってことは
これまでにもいっぱいあるし
「ボタンかけ」なんて、半年以上も格闘していた。

輝明の、「新たな場所へ踏み出す」ペダルに力を込めた震える足。
「小さくて」「大きな一歩」

誰かの小さな存在が
誰かの小さなひとことが
自分の背中を押したことが
これまで何度あっただろう。

「人」によって傷つくこともあるけれど
子供たちに
「人」を思って生きる経験を
いっぱいしてほしいな。




posted by どーなつ at 07:55| Comment(10) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私が雄ちゃんに会った時は、彼は20歳でした。
背が高くてとってもハンサム。

足に怪我をしていたので、見てあげようと思ったら、思いっきり殴られました。
私もびっくりしたけど、彼はもっとびっくりしたんだ。

自閉症の子は、どちらかというと自分に向かうから,自傷という行為をする。
いきなり、「アカンよ!」などと声をあげると、
自分をめちゃっくちゃに殴る。

そんな息子を見ているお母さんは、うっすらと涙ぐんでいる。
何度も目にしてるだろうに・・・

親の心配は尽きない。
一人でも、傍にいてくれるだけで、それだけで
いやされる。

私は自分がそんな一人になれればいいなと思う。
Posted by マーくん at 2006年11月23日 13:25
どーなつさん こんばんは

お久しぶりです

『ボクアル』は主人も好きなので、毎週録画しています。
演じている人たちもそうですが、作品としてもとても丁寧に作っていると
感心しながら見ています。
剛君はスタッフに大切にされているなあと。

都古がいなくなった動物園では古賀さんがサポートしているし、
何気に三浦さんとのやりとりもいいな。
逆に徐々にメッキが剥がれつつある園長さんや、
お母さんの身体のことが気になります。

輝明が別の道へ自分から言ったことを妹から聞いた先生は驚いていましたよね?
今までに経験がなかったのでしょうか・・・

新しい道で亀田さんの店を見つけたので、今後は行動範囲が広がっていくのですね。
その分危険なことも増えていくのでしょうが。
無限の可能性を引き出すために、周りの人がさりげなく手助けしていけると
良いなあと思っています。
Posted by べりぃ at 2006年11月23日 16:28
どーなつ様

>「その恐怖」さえも「超えよう」と
しかも「自分の意思で超えようと」することがあるとしたら
>その力はやっぱり「人」なんだな〜。。。

ほんと、そのとおりだね。
人を思う、何かを思う気持ち・・・?

>親や教師が「○○しなさい」と
「こうするとできるよ」と手を変え、品を変え、工夫を凝らし、教えてきたことが「○○ちゃんがやってたから」だけでいともあっさりと「できるようになちゃった」ってことはこれまでにもいっぱいあるし

うん、こういうことは、障害を持つとか、持たないとか、にも関係ないのかも。
障害を持たない子だって、そういうところあるんだよ。
結局は、何かを思う、自分の気持ち、ということなんだろうな。

>誰かの小さな存在が
誰かの小さなひとことが
自分の背中を押したことが
これまで何度あっただろう。
>「人」によって傷つくこともあるけれど
子供たちに
「人」を思って生きる経験を
いっぱいしてほしいな。

うんうん、ほんと、そうだね・・・。

Posted by yumiko at 2006年11月23日 21:42
* マーくん

雄ちゃんは今、何歳なのかな〜。
そうそう。自閉症の人って、美男美女が多いですよね。

「自分の思い」を表現する術がないって、苦しいですよね。
「怒っている」とか「不安だ」とか、その時の状況から察することができればいいけれど
叫んでいる理由とか、泣いている理由が、全くわからない時は
きっと「何か伝えたいことがあるのだろう」と思いつつ、わかってあげられない自分が歯がゆいです。

雄ちゃんと雄ちゃんのママには、マーくんが傍にいてくれて
きっとすごく心強いと思いマス。
きっと、このブログ界隈でも、マーくんのことをそんな風に「見守ってくれてる」ように
感じてる人がたくさんいるわ。
わたしもそのひとりだけど。^^
Posted by どーなつ at 2006年11月26日 00:06
* べりぃさん

お久しぶりです。先日どこかで・・・Mさんちだったかな。お声を聞いてました。
体調は大丈夫ですか?

>作品としてもとても丁寧に作っていると感心しながら見ています。

そうですね。このシリーズ、どれも「繊細なテーマ」ですものね。
作品には、作る側の「姿勢」とか「意識」とかが出ますね。

>輝明が別の道へ自分から言ったことを妹から聞いた先生は驚いていましたよね?

そうそう。わたしもあの表情が気になりました。
なんだか「愕然」といった顔してましたもんね。
お医者さんが「こうです」と言ったことや、見通しを
あっさり「崩す」ことも、少なくないですものね。
ぴょんの主治医の先生は、診察へ行くと「勉強させてもらってる」なんておっしゃいます。
ひとりひとり違うから、たくさんのお子さんを実際に長期的に見ていくことが大切なんですって。
Posted by どーなつ at 2006年11月26日 00:06
>障害を持たない子だって、そういうところあるんだよ。
結局は、何かを思う、自分の気持ち、ということなんだろうな。

うん。そうですよね。
自分だってそうだもの。
みんな「どこか足りないものを持つ」存在だし
「足りない部分を補い合って」だし。ね。。。
人とそういう関係作りをしたいです。
Posted by どーなつ at 2006年11月26日 00:10

どーなつさん、こんばんは。
お元気ですか?

『僕の歩く道』、私も毎回ではないけれど、
観ています。

以前、どーなつさんがココに書いていらしたと思うけれど、
みんな一人一人いろんな風に世界を見ていて、
自分の見ている世界が全てではない。。。
と分かっているのに、
毎日の生活のなかでは、「普通こうだよね」って、
深く考えずに、(たぶん、思い込みで)判断しがち。
だから、自分の感じたことを余り外に出さなかったり、
ちょっと違うやり方で表現したりする人たちの思い、
ずいぶん気づかずに過ごしているのではないかなぁ、と。

このドラマを見ていると、あらためてそういったことを考えさせられます。

ホント、どーなつさんの言う通り、
「人」によって傷つくことも多いけど、
「人」を思って、「人」によって学ぶ、ですね。
子どもたちにとってとても大事な経験だと思うし、
それに、私自身もまだまだ!?(笑)学ぶこと多し、デス。
Posted by ぱぷか at 2006年11月26日 01:11
* ぱぷかさん

こんばんは〜。元気です〜。

>みんな一人一人いろんな風に世界を見ていて、
自分の見ている世界が全てではない。。。

まあ。覚えててくださって、ありがとうございます。
自分でも何処に書いたか覚えてないんですけど
いつも思ってます。
「赤い色」を他の人も「わたしが見ているのと全く同じに」見ているとは限らない。って。
だから、何でも「感じ方」や「好み」も違ってくるんじゃないかな〜って。

>子どもたちにとってとても大事な経験だと思うし、
それに、私自身もまだまだ!?(笑)学ぶこと多し、デス。

きっと一生、学ぶことは終わらないんでしょうね。。。
まあ「学ぶ」という意識も、時々思い出す程度ですが・・・・・。

Posted by どーなつ at 2006年11月27日 00:32
どーなつさん、こんばんは〜!

私は草なぎくんのこのドラマは観てないんだけど、良いドラマのようですね。
私の身近な所には、障害を持った人はいないんだけど、ビョンホンに嵌って
ネットをするようになって、色々なブログに遊びに行くようになって、
ブログ主さんやそこに遊びに来る人のご家族や身近な所に、障害を持った方が多く
いらっしゃるのを知りました。
その方達の書き込みや文章を読んでいて、私はすごく勉強になったし、
世界が広がりました。世の中にはこういう人が、自分が思っていたよりも
多くいるんだな、しかもこんなに近くに、って。
どーなつさんからも教えて頂く事がいっぱいあります。
ぴょんちゃんのお世話にお仕事にブログに・・・いっぱいいっぱい頑張っている
どーなつさん、とっても素晴らしいなって、いつも思っていますよ。
Posted by ももりゅう at 2006年11月30日 19:11
* ももりゅうさん

>その方達の書き込みや文章を読んでいて、私はすごく勉強になったし、
世界が広がりました。世の中にはこういう人が、自分が思っていたよりも
多くいるんだな、しかもこんなに近くに、って。

ももりゅうさんありがとう。
わたしはね。反対だったの。
コドモを産んでから、「ハンディのある子とその親」の間中心に生活してきたので
そういう仲間とずっと助け合ったり、勉強しあったりしてきたことは
とても有意義ではあったんだけど
いつもいつも「コドモのため」「コドモのため」だったのよね。。。
「いい母」でいなければ。と思ってきたし。

でも、ココでそういう日常の自分を抜け出して
おもいっきり「びょんほん〜〜〜!」って叫べることや
一緒に叫べる仲間がいるってことが、新鮮な世界だったのよね。

そして今は、「びょんほん〜」だけじゃなく
こういう「ぴょん」の話とか、みなさんも頑張っているお話とか
できるようになって
「わたしだけじゃないんだ」とか
「みんなそれぞれの場所でがんばってるのね」とか
わたしもたくさんのことを教えられています。

一時期「トクベツな世界」だったこの場所も
本当の自分のいる「現実の世界」として
地に足が着いてきた・・・って気がしています。

前は、ぶっとんで宙を浮いていたからね〜。(笑
そういう気持ちにさせてくれたのは、ブログで出会った皆さんです。
もちろんももりゅうさんもね。
Posted by どーなつ at 2006年12月05日 01:17
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